国分寺跡地にマンション建設 問題

『国分寺跡地にマンション建設』の件は、マスコミに取り上げられ、市民活動も活発となり、市民の皆様にも少しずつ知られるところとなってきました。氏家秀太事務所におきましても会長の三村洋氏が中心にマンション建設の反対活動を行っています。

もともとの問題点は、史跡や文化財、街の景観を考え、守らねばならない立場であるのに…

海老名市は、

①過去に景観の為の「文化財保護条例』を制定すべきであった。

②国に当該土地を購入するよう働きかけるべきであった。

③マンション建設において、ある程度の業者側に譲歩を求めるどこ

ろか推進するような対応をとっていること。

である。

マンション建設については、建築基準法などの法律は上手くクリアしています。しかしながら、文化遺産として本来あってもおかしくない高さ制限も無く、文化財埋蔵物も調査できていると役所では言いますが、このことにも多くの専門家が疑問を呈しているようです。もう、既に、地面は掘られていますが、14階建となると、何十メートルも掘り下げねばなりません。折角の文化財埋蔵物を台無しにする可能性もゼロではありません。

奈良の平城京は、県民が運動を起こして、国に買い取ってもらい、広い土地を残しました。何も無い、あの空間こそが、奈良時代の文化財として、人々の心を魅了するのです。

水道管、ガス管の工事を海老名市がしています。しかも、大通りからマンションまでの区間だけです。もっと、重要な事ですが、一方通行となっている細い道路は、『復旧6号』というタイプの道路です。4トンのトラック位では、問題ないそうですが、14階マンションとなりますと、10トントラックが通ります。道路は、ガタガタとなり、ひび割れするかもしれません。「その道路の補修を市が行う。」という話も聞きます。本来、業者が行うべきところをです。。水道管、ガス管の工事も同じです。水道管が「古くなったから」との理由ですが、では、なぜ、マンションの区間までなのかという疑問もあります。しかし、海老名市は建築や開発がらみには、いつも何かあるとしか思えません。

ビジネスの世界だから、粛々と建築を進めるのは、民間企業からとしては当然かもしれません。しかしながら、このような状態になることは、海老名市としては予想ができたことであり、もしくは、文化継承について興味がなく放置されてきたと言われても仕方ありません。法を守っているのだから文句はあるまいと。しかし、建築は、人間が生きる空間をつくる仕事であり、規模が大きい。利益だけを追求するわけにはいかないこともあります。か謙虚さ善意とか倫理とか、文化意識、環境問題、他利の尊重。そのようなものと法が調和してこそ、海老名市はそして市民社会は成立し、豊かに発展してゆくと思います。反対に、それらを軽視して法だけの判断で突っ走る海老名市政、今こそ我々市民のチカラで転換していきましょう。また、今後のとるべき方法として、

①業者側に対して、あきらめずに少しでも譲歩を引き出すこと。

②マンション建設に対して、反対をし続け、国立裁判のように(別

の機会に紹介します)業者側との話し合いや対応を続けること。

③その他国分寺跡地の他の周りの土地に対しては、今後このような事態にならないように市が本件と今後の対応を明確にすること。

国への買取の働きかけ、文化財保護条例制定

などを推進するべきです。

氏家秀太も氏家秀太事務所も本件について、今後も積極的に活動の支援をしていきます。

この美しい景観を遺したいと考えます。

  • 国分寺(相模国分寺)とは

今から約1300年前、奈良時代に、聖武天皇の詔により全国に国分寺が建立されました。ここ相模の国の国分寺は、海老名に建立されました。『相模国分寺』として、国の史跡に指定されています。しかも、七重の塔が建てられ、七重の塔が完成したのは、ここ相模国分寺だけです。相模国分寺は、東西240メートル、南北300メートルに及ぶ寺域に、法隆寺方式で最大級の塔・金堂・講堂などが配置されていました。海老名中学校のテニスコートの辺りが、南門だった、と伝えられています。 寺跡のみ、大正10年に、国の史跡に指定されています。

国の史跡に隣接する土地と言いますが、ここは、奈良時代に国分寺の敷地であった場所です。一度、大正時代に発掘調査が行われたそうです。国指定の史跡の発掘調査もいい加減で、約40年前の発掘調査が途中で終わっています。発掘調査を担われた京都大学の名誉教授が、海老名市が途中で止めてしまった際に「海老名市のバカ野郎!」と豪語したと聞いております。このように、文化遺産が埋まっている土地です。